貨幣について考えてみる。
紙幣は実態としては紙だ。
しかし、1万円札には大きな価値が付与されている。
これは、多くの人が1万円札という紙に価値があるということを信じているからこそ成り立っており、これを信用経済などと呼んだりする。
価値の作り方には2種類がある。
・「ゴールド」や「食べ物」など
⇒そのものに絶対的な価値があり、「欲しがる人」が無くなることがないもの。
これは、新技術の台頭などではなく半永久に価値があるものを指す。
・「紙幣」や「株券」など
⇒そのものには価値がないけれども、多くの人の信用によって価値が生じているもの。
このうち、前者の絶対的な価値があるものについてはその時々の希少性などによって変動こそすれ、価値がなくなることはない。人類が存在する限り、価値が存在する。
しかし、後者はどうか。
貨幣そのものに価値はない、しかし我々は価値を感じ、「食品」などと同じように価値を感じている。
つまり、価値が作られている状態だと言える。
価値を作りたければ、「信用」を作ることだ
信用を作ることが出来ればそれそのものが価値となる。
「人」も同じではないだろうか
人の価値はどう決まるのか。人に絶対的な価値はない。
その人のことを欲しがる人は半永久的に存在することはなく、誰にも欲されない無価値な存在になる場合も実は多いのではないだろうか。
では、人の価値はどう決まるのか
一部の外見など「モノとしての人」である部分が「商品」として成り立つ人を除けば
答えはもうすでに書いているが、人の価値は「信用」によってのみ決まる。
何ができるのか?
どれだけものものを生み出せるのか?
どれほど幸せにしてくれるのか?
本当にそれができるかどうかはやってみないと分らないし、もっと言えば1度できても2度目はできるかどうかわからない。
どこまで行っても同じ価値を再現し続けるという保証はできないのが人間である。
だからこそ、その人の価値は「信用」によってのみ決まる。
実績は「信用」を得るための証拠であり、「面接」や「試験」も同じように今後の活躍いおける「信用」を確認するための手段である。
つまり、「自分の価値」を高める唯一の手段は「自分の信用」を上げることだと言える。
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