テクノロジーは進化し、我々の業務は驚くべきスピードで効率化されている。
郵便しかなかった時代から、メールでほぼ同時に情報を共有出来る状態となったり、紙の記録媒体から手で探していた情報を検索して瞬時に取り出せるようになったり。
さらにコンピュータの発達によって、さらに情報の処理スピードが段違いに早くなり我々の業務スピードは想像もできないくらいにどんどん早くなっていくのだろう。
このため、一人の人間が一日進める事のできる仕事の量が極めて多くなったうえ、情報伝達スピードもあがったため世界全体で進むプロジェクトの量は、昔の何年分とかそういうレベルですすんでいるのではないだろうか。
このとき私はいつも、一つのうっすらとした疑問を感じる。
それは、
我々のゴールってなんだろう
というもの。
あるプロジェクトであれば、そのプロジェクトを進めていくことで何かしらの目指す世界を実現したらゴールである。その実現スピードや実現の質を高めるために効率化を図る。
では、この世界のゴールは?
おそらく今後もどんどん新しい技術が生じてきて、一日の濃度は一層濃くなるし、あらゆることの進むスピードは増していくだろう。
スピードが増すということはつまり、ゴールに近づく早さが早くなるということであるが、そのゴールは?
効率化、スピードアップというのはゴールのためのものである。
しかし、我々には大きな欠点があって、それは最も最終的なゴールが定まっていないということである。
何を目指して進んでいる?何を目指して効率化を図っている?
もし仮に時間が無限だとすると、実は我々のスピードは上がっていないという見方になるのかもしれない。
そうであるならば、いまスピードをあげる意味は「自分が死ぬまでに」という有限の時間に対しての効率化なのかもしれない。
この時に、時間という概念を自分だけの軸でみるのか、時間そのものの存在を主体として見るのかによって実は考え方が変わるのかもしれない。
つまり、二つの有限を考える事が出来る。
・人間は無意識に自らの命の有限性において、一生の効率化を図ろうとしているのかもしれない
・無意識的に地球やこの世界がどこかで終わる有限なものだと思っているから、来る終焉に向けた努力をしている
いずれにせよ、我々が最終的に目指す場所を私は見たい。
プロジェクトとして捉えるならば、そのゴールから逆算して我々は行動するべきとなるのであるから。
もし、我々のゴールってなんだろうという問いについて、お考えのある方がいらっしゃったら、コメント欄などで共有していただけると嬉しいなと思います。
100年後の人もゴールを探してそう。ゴールを探す事がゴールなのでは?
jAKOさん
コメントをいただきましてありがとうございます!
ゴールを探す事がゴール、となるといま我々はすでに到達しているとも言えるんですね。
ゴールを探す、ということを目的として仮置きして現代を見直すというのもありですね。
私たち人間の時代を終わらせることが目的になってしまうような気がして怖いです。
sinさん
コメントありがとうございます。
そういった見方もできてしまいますよね。超長期で我々人類を見たときに、自らを消すということがプログラムされているということも言える、もちろん可能性ですがあるのかもしれません。