私たちは生まれた瞬間から、他人に自分の感情や要望を伝えながら生きてきた。
恐らく、他人に対して自分の感情や思っていることを一度も伝えたことがない、という人は一人としていないだろうし、全ての人が自分の思いを人に伝えながら生きてきているはずだ。
私ももちろんそのうちの一人で、多くの気持ちを多くの人に伝えながら日々を暮らしているし、仕事をしている。
だからこそ、他人に自分の感情を伝えるということについて無意識に行ってきたし、特に力を入れて伝えなければ行けない場面以外は何の気無しにそういった感情の交換を行っている。
しかし、よくよく考えてみると私の感情のどれくらいが相手に伝わっているのだろうか。実は本当に一部しか伝わっていない可能性の方が高いような気がする。
生まれてからずっとやってきたコミュニケーションだからこそあまり意識をしなかったのだが、一度意識し始めると
「あれ、やっぱりほとんどの気持ちは正確に伝わってないぞ」
と思うようになる。
もちろん、伝わっていない方が都合のいい感情などもたくさんあるのだが、それも含めて自分が思っていることの多くが伝わっていないことが急に不思議に思えてきた。
まるで、私と他の全ての一人一人の間に広い海のある、他人がまるで外国のような気分だ。
遠くからその島をみることはできても、中で暮らしている人々を理解することができない。そこには確実に息づく暮らし(感情)があるのにも関わらずだ。
逆に考えてみる。
私は人の感情を大体理解してコミュニケーションをとっていたつもりであった。別に特段能力が優れているとかそういう訳ではなく、普通に社会生活を送っていて普通に多くの人と理解し合っていると思っていた。
しかし、恐らく私は関わる全ての人の中にある歴史や思い出、感情までをほとんど何も知らずに会話をしてきたのである。
訪問する会社のことを何も知らずに売りにいく営業マンのように。
これはとても怖いことだ。
私が今まで普通に交換してきた感情と言葉は、実は私が思ってきたものとは中身がまるで違うものだったのである。
それは別に嘘だったというわけではなくて、私が想像してきたものと違ったという怖さをいま思う。
だからこそ、もっと伝えたいとも思った。
本当にこんなことを考えているのだということ、本心を知りたいというよりも素直な気持ちをお互いに知りたいとそう思う。
そのために、まず私が相手に何を伝えるか、相手から何を感じるか。
コミュニケーションの本質がそこに見えたらいいなと思う。
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