植物の種を蒔き、水をかける。しばらくすると芽が出てくる。
当たり前の光景だが、この「しばらくすると」の間に意味があるのだろうかと、ふと考えてみた。
水素に火を近づける。すぐに爆発が起こる。
そこに「しばらくすると」の期間はない。(少なくとも私には分からない)
水がかかった後、種の中では芽を出すために様々な作用が起こっている。おそらく水素の反応と同じくらいに激しい反応が起こっているのであろう。
しかし、それは種の中で起きているから見えない。
人とのコミュニケーションもこれと同じだと感じる。
人に対して言葉を投げかけたとき、全ての人がすぐに動くわけではない。分かったかなと不安になることもある。本当に伝わったかどうかは、厳密に言えば絶対にわからない。
このとき、人の中では何かが起こっているのである。
しかし、外からは見えない。
外からは見えないが、何かが起こる。そしていつか芽が出る。
このことは、よくも悪くもなのである。
人に与えた良い影響は、今は分からなくてもしばらくするといつかどこかで芽が出て幸福を呼ぶだろう。人に与えた悪い影響も、すぐには見えずともしばらくするとどこかで頭を出してくるのだと思う。
この「しばらくすると」を知り、認識し、上手に付き合うことが人を知ることにつながるだろうと私は思う。
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